50年前のランニングブームは、1964年のマラソンで円谷幸吉が銅メダルを獲得した東京五輪を契機とするものでした。67年に始まった青梅マラソンは、第2の円谷となる若者を見出そうという趣旨だったのですが、実際には、中高年の参加者が多かったといいます。
大学の指導者だった山西先生は乞われて、中高年ランナーの指導を始めました。彼らの体験談を本にまとめて出版したところ、5万部も売れ、驚かされたそうです。つまり、走る中高年が多かったということであり、やはり若者より、中高年が本を読むのだということでしょう。
「退職後つぎつぎに病気にかかるゆううつな毎日。早朝マラソンが健康の良薬と聞き、町内の笑いものになって走る」。先生の本にある体験談のひとつです。
「60歳になればランニング体験を言葉で表現しなければ。記録や順位もあるが、心の世界を語ろうよ」と山西先生。走るとき、自然と交わした対話、仲間との対話、自分との対話をそのまま、ほったらかしにしてはいけません。
山西先生自身、年齢的にはもはや立派な高齢者ですが、寒空の下、グラウンドに飛び出し、実技の指導にあたりました。この日のプログラムは「鬼ごっこ」などのプレイが中心。2列に並び、「さくら」がコールされると、右側が逃げ、左側が追う。「うめ」だと、左側が逃げ、右側が追う。一方が間違えてぶつかりそうになるなど、中高年ランナーも子供のような笑顔がはじけました。
例会は10日、東京海洋大キャンパス(江東区)で開かれ、染谷抗加齢研究所の染谷光亨所長によるアンチエイジングについてのお話もありました。(S)
東京海洋大学での山西先生(右)の講義
実技はペアになってのストレッチから
先頭に立って走る山西先生(右から3人目)
越中島の海洋大といえば明治丸。後方に湾岸地区のタワマンが見える
1辺20メートルくらいの三角形を4人のチームで走るエンドレスリレー。笑顔がはじけます